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Kalep,中小企業事例集は、読者の皆さまの経営にお役立ていただけるような中小企業、ベンチャー企業の事例をご紹介するシリーズです。経営者へのインタビューを通して、AIに聞いても分からない企業の取り組みや、人物の魅力に迫っていきます。
今回は、2026年10月1日に社名を「株式会社みちひらき」(旧 株式会社おしごとマーケティング)に新しく変更された、代表の齋藤 正秋(さいとう まさあき)さんにお話を伺いました。
新しい社名に込めた思いと、そこにつながるこれまでの歩み。例えば、大学生時代からすでに今の取り組みの原点となるような「就活生に情報提供していた」お話、そして採用・教育研修会社の起業、日本初・民間の託児所付きコールセンターの立ち上げ、オンライン商談システム「meet in(ミートイン)」の経営など。
数々の事業を実現し、推進されてきた齋藤さん。今回、普段はほとんど語ることのない、これまでの歩みからお話していただきました。過去からつながって今、社名が変わることで、ご自身のやりたいこと、未来に向けてやるべきことがより明確になったといいます。痺れるような泥臭いお話もありました!
1 なぜ今、社名を変えるのか
――最初に、これまでの「おしごとマーケティング」という社名に込めていた思いを教えてください。
「おしごとマーケティング」を登記したのは2017年10月2日です。いわゆる「HR(Human Resources(ヒューマン リソーシーズ))」の領域で、採用の支援や新人・マネージャー研修などを行なっていました。社名には、
人が成長し、活躍できる場(仕事)をマーケティングし続けたい
という思いを込めていました。
しかし、社名に「マーケティング」というワードが入っていると、名刺交換をする度に「Webマーケティングの会社ですか?」と勘違いされます。また、AIで検索してみると「人材紹介・派遣会社」としてヒットしてしまいます。
「webマーケティングの会社ではない」と言っても伝わらない。「いわゆる人材紹介系ではありません」と説明を始めると、それだけで自己紹介が終わってしまう。
こうした状況でしたので、2023年に前職を離れてからおよそ3年がたった今、現在やっていることに社名を合わせようと決めました。それが「株式会社みちひらき」です。

2 「みちひらき」の由来と、ロゴマークに込めた思い
――「株式会社みちひらき」という社名は、どのように決まったのでしょうか?
本当に悩みました。横文字ではなく日本語がいい。漢字よりも、日本特有で自由自在のひらがながいい。こうした字面についてはもちろんのこと、それ以上に自分のやっていることを一言で表すと何なのか、について深く考えました。
元来、私は「人の役に立ちたい(認められたい)」という思いが強いです。それに、「自ら動き」勝手に領域を広げていってしまう性格です。新卒で採用支援の仕事をしていたときも、単に求人広告を売るだけではなく、広告の書き方のコツを教えたり、採用した人が辞めないように採用後の研修をしたりしました。頼まれていないのに、その会社の事業拡大に役立ちそうな人を紹介したりもしました。
ここで再認識したのは、
採用しただけではだめで、その後、活躍しないと意味がない。もちろん、会社も成長しなければならない。一つの断面だけではなく、物事の本質にアプローチし、伴走し、一緒に事業を推進していく。これが私のしてきたことだ!
ということです。例えるなら、険しいジャングルに先頭で分け入り、「成長のヒント」を見つけ、仕掛ける存在です。これだと思いました。
まず動いて道をひらく。それなら「みちひらき」だと。
そして、「ひらく」は、次のように連なっていきます。
会社の未来をひらく
社員の心をひらく
お客様の心もひらく

(出所:株式会社みちひらきのホームページより抜粋)
――確かに、齋藤さんと一緒に仕事をして、道がひらけていく感覚を覚えます。「また改めて会議しましょう」ではなく、「週に1度ミーティングをしましょう」「営業先として、△△さんに声をかけましょう」「金額は○万円にしましょう」と、一つひとつが非常に明確で具体的です。しかも、答えを与えるのではなく、相手の中に入っていかれますよね。
そうです。例えて表現すると、
相手の中に具体的な火種をつくる。そして、その火を消さない。
ということだと思います。
――ロゴマークにはどのような意味があるのでしょうか?
ロゴは記号ではなく、ひとつの情景というイメージで作りました。
経営者の前にあるのは、閉じた扉というより、その先が見えていない状態です。やりたいことはある。けれど、そこへ至る道がまだない。山やジャングルと同じで、はじめから道なんてありません。
ロゴで表現している情景は、扉がひらいて、奥に光が見えて、足元からその光へ道が伸びていく。光と、まだ誰も歩いていない場所。これから道を切り拓いていく。道はまっすぐではなくうねりながら、足元から奥の光へ向かって伸びていきます。
歩いた分だけ、そこが道になる。
そうした思いを込めています。

(出所:齋藤さんよりご提供)
3 「とにかく真剣に勉強した」大学デビュー
――ここからは、齋藤さんのこれまでの歩みを振り返っていきたいと思います。どのような学生時代を過ごしたのですか?
過去のことを人に話す機会はあまりないのですが、改めて振り返ってみると、全部が「今」につながっている、と分かるかもしれませんね。
大学受験はうまくいかなかったのです。模試では合格圏だった志望校に落ちてしまい、何とか「滑り止めの滑り止め」に合格しました。
そのころ、高校時代の友人が病気で亡くなったという知らせが届きました。人生で初めてお葬式に参列し、とても衝撃を受けました。
それまでの私はのらりくらりとなんとなく生きていましたが、友人のことがあり、
これではダメだ、頑張らないといけないと思ったのです。
そこからは「大学デビュー」で、真剣に勉学に励みました。
第二外国語は、他の学生が英語やフランス語、中国語を選ぶ中、当時、誰も選ばなかったハングルを選びました。学年トップになって先生に褒められたりして、「勉強って面白いな」と初めて思いました。そうして、大学2年生の時には卒業に必要な単位を取得し終えていました。
――就職活動はいかがでしたか?
就職氷河期だったこともあり、大学3年生から活動を始めました。景気に左右されない業界、ビジネスは何かと考えた結果、製薬メーカーを目指しました。誰もが知る外資系製薬会社から無事に内定をいただくことができたのですが、内定式に行くと有名大学卒の人ばかりです。内定者と会話をした瞬間「ここではない」と感じました。もっとがむしゃらに成長できる場に身を置かなければと思って内定を辞退しました。せっかくいただいた内定を断った私に、父がこう言ってくれたのを覚えています。
「自分の好きな道を選べばいい。やりたいことをやりなさい。」
ところで、私は内定を7社ほどいただいていたこともあり、就職できずに悩んでいる友人知人に、「内定をもらうコツ」をアドバイスしていました。そのときの友人知人の中には、某航空会社のキャビンアテンダントになった人や、倍率の非常に高い有名企業に入社した人もいました。
――すごいですね。どのようなアドバイスをされていたのですか?
例えば、自己紹介文を書くときは結論から書いて、その後に理由を書く。また、強みを書くときは、安易に「コミュニケーション能力」などとせず、自分のしてきたことをしっかり棚卸ししてみることです。そうすると、
アルバイトや部活、サークルの経験の中に、本人も気づいていない強みがあるものです。
例えば、野球部で補欠だった人にベンチで何をしていたかを聞くと、メンバーがいつでも活躍できるように掃除や準備をしていたりする。「レギュラーじゃなかったから強みではない」と考えがちですが、実は縁の下の力持ちでチームを支える献身的な姿は会社に受けがいいものなのです。
こうした「内定をもらうコツ」をアドバイスしたりする取り組みが面白くなり、「人」にかかわる仕事や就職に携わる仕事をしようと決めました。そこで選んだのは、当時、インターネット上で「ブラック企業ランキング」の上位に入っていた採用支援のベンチャー企業です。
――なぜ、あえてブラック企業を選んだのですか?
高校までの私は、何かをやりきったことがありませんでした。初めてやりきったのが大学での勉学ですが、それでは過去の負債は返せないと考えました。
他の人に追いつくためには、厳しいところ(会社)に入らないといけないと思いました。
亡くなった高校時代の友人のことは、その後もずっと心の支えでした。楽なほうに逃げそうになると、そばにいて叱咤激励してくれているような気がして背筋が伸びる。就職して数年後、入社した会社でナンバー1になれたことを、その友人のご家族に報告しました。「本当に頑張れる心の支えになっています」とお伝えしまして、とても喜んでくださいました。本当に有り難いことです。
その友人のおかげで、本当に道がひらけたと思います。

4 トップ営業、24歳での起業、そしてリーマンショック
――入社したブラック企業では、どのように働かれたのですか?
入社してみると、有名大学卒業の人たちがたくさんいました。頭もよく運動もできる人たちばかりで、大学の偏差値では自分が一番下でした。
だからこそ、とにかく誰よりも働こうと。
「人が寝ているときほど頑張る」という気持ちで、ひたすら働きました。
営業でトップの実績も上げました。2年目で課長代理になりましたので、個人としてトップを取っただけでなく、5、6人のチームとしてもトップを取ることができました。
――そこから24歳で研修会社を起業されたのですよね。どのような経緯で起業されたのですか?
採用支援の会社では、3年間で100社ほどの採用を支援しました。すると、採用しても辞めていく人が多いことに気づきました。あれほど頑張って採用したにもかかわらず、採用したほとんどの人が辞めてしまう現実があります。
採用した人の入社後が気になって、「採用の先」を見たくなりました。
そこで、採用だけでなく、教育研修も手がける会社を先輩と立ち上げたのです。
――どのような教育研修だったのですか?
山にこもって2泊3日、睡眠時間をけずり、たくさん食べて、たくさん動く。体力も頭も限界まで追い込むという、今なら賛否両論のある研修です。しかし当時は、この研修を耐えた新人の離職率は低く、活躍してくれるとクライアントからは好評でした。「あの厳しい研修に比べたら、現場の仕事のほうがマシ」という声もあったほどです。
またそのとき、一つの大切な気づきを得ました。参加者から嫌われてしまう研修講師は、口で言うだけで自分は厳しい環境に身を置いていなかったのです。参加者からすると「あの講師は言うだけでいいから楽なものだ」ということです。
そこで、私は講師でありながら参加者と一緒に走る、食べる、睡眠時間も短く
を実践しました。そうすると参加者にこちらの本気度が伝わり、より真剣かつ前向きに研修メニューに取り組んでくれました。
小手先のテクニックではない。本当に「皆で成長しよう」という本気の気持ちが伝わることが大事なのだ、そう思いました。
――講師も走る、食べる、睡眠時間を削るというのはすごいですね。その後、リーマンショックが起きます。どのような状況でしたか?
当時は、都内にマンションを保有し、高級時計を何本も持ち、高級な車もバイクもある。メディアにも取り上げてもらって、自分を勝ち組だと完全に勘違いしていました。
ところがリーマンショックが襲ってきます。不動産や金融関係のクライアントが倒産したり、採用をやめてしまったり、8割程のクライアントがいなくなりました。マンションも車もバイクも全部売り払い、残ったのは数百万円の借金。ボロボロの六畳一間のアパートに引っ越しせざるを得ず、手取りも数万円で、食べるお金にも困るくらいになりました。
――かなりの変化ですね。その落差を、どう受け止めたのですか?
恥ずかしい話ですが、泣いていました。シャワーを浴びながら叫んでいました。どこに吐き出したらいいか分かりませんでした。
そこから、小さなIT企業に入れていただいて、テレアポ(テレフォンアポインター。電話で商談や訪問のアポイントを取る仕事)からやり直しました。そこで恩師との出会いがありました。年齢は2~3歳しか変わらないのですが、視座が高く、視野も広い。最初のころは、私が未熟すぎて全く会話になりませんでした。その恩師に、こう言われました。
「今持っているものは、全部切り離したほうがいい」
根本から叩き直してもらいました。天狗になっていた鼻を根元からポキッと折ってもらったのです。この経験は本当にかけがえのないもので、本当に感謝しています。
その後、その恩師が独立・起業することになりました。当然、恩師に着いていくつもりだったのですが、こう言われてしまいました。
「お前は来るな。お前は自分でできるから」
正直、寂しい気持ちがありました。しかし、今思えば、いろいろと考えてくれていたのだと思います。それで、もう一度起業することになりました。
5 「業界を変えたい」――採用から教育、定着まで
――再び、採用と教育の世界に戻って来られたのですね。
IT企業を辞めた後、元大手企業の人事責任者だった方と共同で会社を立ち上げました。そこから7年間、採用から教育研修までを手がけました。
再び人材業界に戻ってきたのは、人材業界を変えたかったからです。
この業界に携わる人の多くは、実は人事を知りません。人を採用したことも、育てたこともない人たちが、「こうしたほうがいいですよ」と提案したりしています。
しかも、人が辞めれば辞めるほど儲かるビジネスになっている。
この構図に痛烈な違和感を覚えていました。そこで、「この業界を変えたい!」という強い思いで7年間走り続けました。おかげさまでクライアントは増え、リピート率も高かったです。10人ほどの会社で、30~40社のクライアントを全力で支援しました。
しかし、業界は何一つ変わりませんでした。
そこに私は打ちひしがれていました。
6 病気の発覚と、ゼロからの新規事業立ち上げ
――そのようなときに、大きな転機が訪れたのですね。
はい。34歳のとき、結婚して子どもを授かりました。これからが大事と人間ドックを受けたところ病気が見つかりました。早期発見だったので手術をして根治したのですが、あのときは亡くなった高校時代の友人のことも思い出し、死を意識しました。
そのとき、
「今のままではダメだ」
と思い、共同経営していた会社の役員を退任して1人で「株式会社おしごとマーケティング」を立ち上げたのです。
――その後、すぐに別の会社に入られますね。
最初は1人社長として公私ともに充実した日々を過ごしていたのですが、半年ほど事業を進めていくうちに強烈な危機感が襲ってきました。「このままでは、ワガママになり価値のない存在になってしまうのではないか」と考えるようになりました。前述した恩師にそのことを相談すると、
「それ正解だよ」
と言われました。
それで武者修行に出ることを決意します。修行の行き先は、新卒で入った会社の同期が社長を務める営業支援の会社です。本気で上場を目指していて、これはとても修行になると思いました。
――そこで任されたのが、託児所付きのコールセンターですね。
はい。当時、社長は「社会的意義のある仕事をしたい」という私の思いをよく理解していて、「これは齋藤さんにしかできない」と、託児所付きのコールセンターを任せてくれたのです。
待機児童を抱えて働けない人たちが、働けるようにしたい。
そうした思いもありました。
場所は待機児童が多かった埼玉県さいたま市です。文字通り「ゼロからのスタート」はとにかく大変で、駅前のカフェで200人を面接したり、オープン前日に徹夜で椅子やテーブルを組み立てたりして、なんとかオープンに間に合わせました。
――すごい状況ですね。オープン後はいかがでしたか?
大盛況でした。ただ、100人ほどのお母さんたちが一気に集まると、子どものしつけ方も考え方が違う。派閥もできます。その間に挟まれての調整が人生最大級の困難でした。
――どのように乗り越えたのですか?
挨拶する、目を見て話す、感謝する。
こうした基本の行動ルールを決め、これが守れない人は辞めてもらいました。また、意外だったのですが、2~3割の人は目立って意見を言うわけではないのですが、この場所を良くしたいという強い気持ちを持っていることが分かりました。こうした人たちと一緒に再度組織を作り上げ、1年でなんとか安定させることができました。

7 「日本初」「日本一」を生んだ取り組み
――そこから、オンライン商談システム「meet in(ミートイン)」の事業にもつながるわけですね。
はい。コールセンターが安定したので、そこをmeet inのマーケティングセンターにしました。お母さんたちが電話で月に200~300件の経営者のアポイントを取ってくれますので、そこにひたすら営業します。パソコンに不慣れな人でも使えるオンラインツールというのが、当時はまだ珍しかったのです。meet inの社長は、約6年ほど務めました。
――齋藤さんが手がけられた事業には、「日本初」「日本一」がいくつもありますよね。
有り難いことに、このmeet inは、実質的に日本最大級の規模でした。
託児所付きのコールセンターもそうです。民間で託児所付きのコールセンターを立ち上げて収益化したのは、日本で初めてだったと思います(他は補助金で運営されていて赤字と聞いています)。大手企業もよく視察に来てくれていました。
もう一つが、経営者交流会の「CXOサミット」です。コロナ禍でリアルな交流会が難しかった2022年ごろに、月に1回100~150名、年に1回500名規模、年間で2000名以上の経営者が集まる交流会になりました。
当時としては日本一の規模でした。
――しかもコロナ禍に。どのようにして、そこまで人を集めたのですか?
実は、クレーム解消のための苦肉の策でもありました。
当時は別事業部の責任者を兼任していたのですが、規模が大きい分、クレームも多く寄せられていました。そこで、クレームをくださったお客さまに「お食事にご招待します。その場でご縁をおつなぎしますので、ぜひ来てください」とお声がけをして、交流会を開催したのです。この交流会はかなり評判が良かったです。
さらに、パフォーマンスマネジメントシステム「コレドウ」の立ち上げです。パフォーマンスマネジメントという考え方自体が、日本ではまだあまり定着していません。このマネジメントシステムは日本初であり、今のところ日本一です。
8 「みちひらき」で目指すこと
――いよいよ「みちひらき」がスタートですね。何をやっていかれたいですか?
さまざまな経験を通じ、今、改めて実感していることは「やればできる」ということです。
世の中には、素晴らしいビジネスアイデアがありますし、改善するためのツールもある。それなのに、一歩を踏み出すきっかけがなくてストップしている。
私は、そうしたビジネスを止めたくない。誰かが動けないときに、代わりに動かしたいと思います。振り返ってみると、自分はそれを動かしてきた人生です。
ただし、一緒に進んでいくのは、志のある人や良いことをやろうとしている人です。「もっとお金を稼ぎたい」というだけの人、努力しない人には協力しないと決めています。
――ご自身を一言で表すと、どんな存在でしょうか?
経営者をお助けしたいと思っています。ただ、一人でやろうとは思っていません。ブランディングや企画、カスタマーサクセス、人事と、それぞれに信頼できる仲間がいます。チームですね。
何かあったら、困ったときの「お助け隊」。そうしたイメージです。
仲間を選ぶときに大事にしているのは、その人がどこを向いているかです。矢印がどこに向いているか。自分に矢印が向いていたり、自分が目立ったりすることではなく、相手のため、相手の組織がどうなるかに向いている人。自分に矢印が向いている人をよくないと思っているわけではありません。それはそれで考え方ですので。
ただ、目線が相手に向いている人と一緒に進めたいです。
――物事を判断するときに大切にしていることはありますか?
頭で考えるより、心で感じてから頭で考えます。
心は嘘をつかないからです。
頭で考えると、いろいろな理屈づけや理由づけをして、真実をねじ曲げてしまうことがあります。
「なにか引っかかる」「なにかが違う」という違和感は真実なので、それを大事にします。
――お忙しい中、どのようにインプットをされているのですか?
移動時間に、本やYouTubeです。
例えば、今、気になっているのは国際情勢です。世界の中に日本があって、日本の中に経済や政治があって、その中に私たちがいる。大元を見落としてはいけないと思っています。
9 「空を見て仕事がしたい」
――これまでのお話をお聞きしてきて、波乱万丈の人生、思いを共有していただいたと感じています。齋藤さんという人を形づくってきたものは何でしょうか?
おそらく両親です。母は専業主婦で、とても面倒見が良く、捨て猫を拾ってきては父に「また猫が増えた」と言われていました。猫だけではなく動物全般です。放っておけない、そういう性分です。
父は路線バスの運転手で、いつも一緒に遊んでくれました。あるとき、母に「危ないからバイクは絶対に乗らないように」と言われていたのに、父は私を連れ出してバイクを買ってしまい、一緒に母に怒られたり(笑)。
そういう父には名言があります。もともと父はテレビ局関係の編集でスタジオに篭って仕事をしていたそうです。そのときに、こう思ったそうです。
「空を見て仕事がしたい」
そして、長距離トラックのドライバーになりました。その後、家族のために必ず家に帰れる路線バスの運転手になり、35年ほど勤めました。父は「バス運転手以上のものはない」と言っていました。地域のお客さまとも触れ合いができて、いつも日が当たるところで働ける、そして家族との時間も大事にできるから、と。
「空を見て仕事がしたい」という父の言葉には、父の生き方が凝縮されていると思います。
私の家はずっと、やりたいことをやってきた家族です。
気づけば、私も父に似てきました。妻に「たくさんあるから、これ以上ぬいぐるみを増やさないように」と言われたのに、私は娘を連れ出してUFOキャッチャーでぬいぐるみを増やしてしまい、妻に怒られるという(笑)。

10 経営者へのメッセージ
――最後に、経営者へのメッセージをお願いします。
「”やりたい”を止めないでほしい」
これが伝えたいことです。「あきらめないでほしい」とも思います。
――齋藤さんは、とにかく飛び込んで、やりきるところまでやりますよね。
はい。もちろん、やりきってダメだと思ったら、やめます。
しかし、1度はしっかりやってみる。
昔からそうです。やってもいないのに「怪しいな」と言う人がいますよね。私は、皆が怪しいと言う場所にも実際に行ってみます。やってみます。本当に怪しいこともありますが、怪しくないこともあって驚きます。
飛び込んでみて、自分の目で見る。それでも怪しかったら、怪しい。
それでいいと思っています。
まずは、やってみること。
やりたいことがあるなら、止めないでほしいです。

(出所:株式会社みちひらきのホームページより抜粋)
【編集後記】
「まずはやってみる」「やりたいことがあるなら止めないでほしい」。とても勇気が出る言葉をいただきました。
齋藤さんは、答えを与える人ではありません。相手の中に入っていって、「週に1回集まりましょう」「あの人に声をかけましょう」と、最初の一歩を具体的に一緒に踏み出してくれる人です。
そして、つけた火を消さない。山の研修で参加者と一緒に走っていたころから、その姿勢は変わっていないのだと思います。
リーマンショックですべてを失ったときも、病気が見つかったときも、齋藤さんはあえて難しい方、厳しい方を選んで進んできている印象です。
富士山を一緒に登り、経営者の先に立って、そして一緒に太陽を見に行く。「みちひらき」という社名は、齋藤さんがこれまで歩んできた道そのものです。やりたいことがあるのに最初の一歩が踏み出せないときは、まず齋藤さんに話してみるのがいいと思いました。
齋藤さんはまず自分で動く。やってみる。やりきる。これはなかなかできることではありません。そしてまっすぐに筋を通す。厳しくも温かい。温かいからこそ厳しい。そんな齋藤さんが、きっと、経営者の、組織の、働く人の心に、消えない火をつけてくれるはずです。
以上(2026年10月作成)
(聞き手 日本情報マート 代表取締役 松田泰敏)
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画像:日本情報マート


